辻昌建選手のご冥福をお祈りします |
WBCの決勝戦をテレビ観戦中
辻選手(帝拳ジム)死去の知らせを聞く
なんともやりきれない気持ち
ボクシング関係者に囲まれている状況から少し距離を置いて冷静に考えてみる
相手の脳と眼球に障害を与え合うことを内容としているスポーツ
脳に衝撃を与え合い相手の意識を10秒は立って いられなくするくらいに喪失させる
ことを目的としたスポーツ
どう考えても普通じゃない
他のスポーツでももちろん事故は起こる
たとえば野球
デッドボールで半身不随になることがある
あるいはアメリカンフットボール
タックルの衝撃で取り返しがつかない大怪我をすることがある
サッカーでもボールの代わりに足を蹴られて怪我を負うことがある
しかしプロボクシングの事故は「脳に衝撃を与え合う」というこのスポーツの
内容の延長線上にある
事故とこのスポーツの内容、目的が分かちがたく結びついている
野球はボールを打者にぶつけあうことを目的にしたスポーツではない
アメリカンフットボールはタックルをし合うことを目的にしたスポーツではない
サッカーも同じ
選手の足を蹴りあうスポーツではない
しかしプロボクシングは脳や眼球に衝撃を与え反撃の能力を奪い、究極的には少なくとも
10秒間立っていられなくなるほど相手の意識を喪失させることを目的としたスポーツだ
そして事故はこの目的と直接的に密接な関連性を持って分かちがたく結びついている
ここが他の競技の「事故」と本質的に異なっているポイントだ
たとえば野球なら
ボールをよりやわらかいものにすればデッドボールによる事故は防げる
さらに重要なことだが
ボールをやわらかいものに変えたとしても野球という競技は成立するし、その醍醐
味は失われない
アメリカンフットボールもプロテクターをより頑丈で衝撃を吸収できる素材のものに
改良すれば事故は大幅に減る
さらに重要なことだが
そういう新しい防具が開発され使用されてもアメリカンフットボールという競技は
成立するし、その醍醐味は失われない
サッカーも同じ
たとえば足にプロテクターをつけたとすると事故は大幅に減るだろう
さらに重要なことだが
そのプロテクターが使用されたとしてもサッカーという競技は成立するし、その
醍醐味は失われない
しかしプロボクシングについてはどうか
事故を防ぐために脳に衝撃を与え合わないように
たとえば衝撃を吸収する防具を頭部につけたり、あるいは顔面や頭部への打撃を
ルールで禁止した場合
事故は大幅に減るだろうが、その「競技」はもはやプロボクシングとしては成立し得
ず、その醍醐味は致命的なまでに失われることになるだろう
もう一度繰り返す
プロボクシングは脳や眼球に衝撃を与え反撃の能力を奪い、究極的には少なくとも10
秒間立っていられなくなるほど相手の意識を喪失させることを目的としたスポーツだ
そして事故はこの目的と直接的に密接な関連性を持って分かちがたく結びついている
ここが他の競技の「事故」と本質的に異なっているポイントなのだ
さらに重要な論点を提起したい
「事故」について考える場合
今回の辻選手のような死に至るケースのみではなく
脳や眼球への蓄積された障害に起因するさまざまな疾病、あるいは機能障害をも
考慮にいれなければならないと思う
不謹慎を承知であえて言うが
脳や眼球へのダメージの蓄積から高度の障害を負った状態で生き続けることと
今回のケースのように死亡してしまうことと
どちらがより残酷といえるのか
私は明確に答えることが出来ない
また成人した大人が事故に遭遇するかもしれないリスクをよく理解した上でプロボクシング
をしているのだから「事故」が起こったとしても自己責任
無関係な第三者が介入する必要はない、という議論もある
しかしいかに当事者である選手同士が納得していたとしても
その競技が社会通念上著しく問題があり公序良俗に著しく反すると考えられる場合
国家は法によってその競技を規制することができるという考え方もある
たとえば
ありえない話ではあるが
「あっちむいてホイ」で負けたほうが手の指を一本ずつ逆向きに曲げられて骨折させ
られるという内容の競技があったとする
当事者である選手同士はもちろん納得の上「試合」に出場している
「あっち向いてホイ」に勝つために
選手は日々トレーニングに励む
いかにじゃんけんに勝つか、そしていかに相手の注意をそらし自分の指す方向に相手
の頭を向けさせるか
右に指を移動させると思わせておいて左に移動させるといったある種の「フェイント」の
技術が発達するかもしれない
絶対に相手の策略に引っかからないように冷静な判断力を保つ必要が出てくるだろう
この競技に勝つためには精神的肉体的なスタミナの強化を目指したトレーニングが
要請されることだろう
相手選手の特徴を研究分析する作業も要請されるだろう
この選手は終盤、「チョキ」を出す確率が高くなるとか
この選手は指を右へ振る傾向が著しい、とか
観客は選手同士の駆け引きや技術の応酬を楽しむことになるのかもしれない
勝った選手が涙を流して喜ぶ姿につい感情移入してしまって
もらい泣きするくらいに「感動」してしまうかもしれない
さらに観客にとって重要な刺激になるのは負けた選手は指を折られるという
暴力と破壊の要素だ
指を一本折られたくらいで人は死なない
脳や眼球に障害を負うことはない
ある意味、考えようによっては
プロボクシングより安全といえるかもしれない
しかしよく考えてほしい
このような競技を人間として正視できるだろうか
指が逆向きにねじあげられ選手は必死に苦痛に耐える
このような場面を人間として正視できるだろうか
「正視」しえた段階で
同胞である人間に対する思いやりの気持ち、同胞への情愛、同胞の苦しみに共感
する気持ち
そのような人間としてより大切なものを失ってしまうのではないだろうか
さらにいえば
選手が納得しているからといって国家はこのような残酷な競技を規制せずに野放し
にしておいてよいのかという問題が生じる
その競技が社会通念上著しく問題があり公序良俗に著しく反すると考えられる場合
国家は自らの道徳的な基盤を守るためにも法によってその競技を規制する必要が
あるのではないだろうか
ここでよく考えてほしい
この「あっち向いてホイ」競技と同様に
人間の脳と眼球を傷つけあうプロボクシングは普通の感覚の人間なら正視に堪え
ない競技である
こういう考え方も成立し得ると思う
現実に残酷すぎて「プロボクシング」は正視できないという人もいる
そうかと思えば私も含めて眼を輝かせて 喜んでみている人もいる
前者と後者とどちらが人間としてより道徳的といえるだろうか
考え出すと切りがない
答えが出ない
ここまでの議論の内容から
私は「プロボクシング廃止論者」と思われてしまうかもしれない
率直に言って
私は「プロボクシング廃止論」に反駁することができない
道徳的に理論的にも「プロボクシング廃止論」にはより正当性がある
そう認めざるを得ない
ところが私は、にも関わらず
プロボクシングを観戦し続けていたい
プロボクシングをやめてほしくない
「プロボクシング廃止論」により正当性があることを認めつつも
プロボクシングをずっと見続けていたい
プロボクシングには麻薬のような中毒性があるといわれる
「やるほう」に中毒性があるのはよくわかる
しかし「観るほう」にも相当の中毒性があるようだ
中毒とは「依存症」といいかえることができる
どうやら私は病気にかかっているようだ
病名は「プロボクシング依存症」
ちなみに「依存症」とは「夢中になっている」状態のことではない
本当はやめたほうがよい、とわかっているのにどうしてもそれなしで生きていけない
わかっちゃいるけどやめられない
その状態のことを「依存症」というそうだ
ただただ大好きで夢中になっている状態は「依存症」ではない
つまり病気ではない
「酒は人を魅する悪魔である。うまい毒薬である。心地よい罪悪である」
聖アウグスティヌスの言
「酒」を「プロボクシング」と言い換えれば正に今の私の心境だ
「プロボクシングは人を魅する悪魔である。うまい毒薬である。心地よい罪悪である」
そして英国の詩人バイロンはこう歌った
「快楽は罪だ。そしてときとして罪は快楽である」
やりきれない思いを抱き
後ろめたさを憶えつつも
私はプロボクシングというスポーツを愛しつづけることだろう
所詮人生五十年
一期は夢よ ただ狂え
それにしても死者がこれほどのペースで出てしまう現状は変えていかなければ
ならない
「プロボクシング廃止論」の台頭を抑止し
またプロボクシングという競技の安全性を向上させ
プロボクシングの健全な発展をはかるために
以下の提言をしたい
①ライセンス更新時の健康チェックの強化
視力の低下、脳障害の有無、内蔵機能など全面的な徹底したメディカルチェックを
行い基準を満たさない選手にはライセンスを更新しない
視力検査表は記憶されているケースが多くまったく意味がない
②大胆なルール改正
リングドクター複数体制、ラウンドの大幅な短縮、その試合において2回のダウンが
あった場合、その選手はKO負けとする、計量時の血液検査の実施などなど
③セコンドライセンスの取得基準の厳格化
現行ジムの推薦があれば無試験で取得できるセコンドライセンスの取得基準を厳しく
する。一定の医学知識があるもの以外には付与しない
そのほかにも見直すべきポイントは多くあるはずだ
この際
問題点を徹底的に洗い出すとともに、改革への取り組みを社会的にアピールする
意味も含めて
プロボクシング業界に直接の利害関係がない有識者によって全体の委員の過半数
を構成することを絶対的な条件として
業界自らが第三者委員会を立ち上げてみてはどうだろうか
名称は「プロボクシング安全性向上委員会」でいいだろう
そこで週一回必ず集まって徹底的に議論を重ねる
大胆かつ抜本的な改革案を提起することを目指す
さらにボクシングファンの声も幅広く聞く(ヒアリングアンケート実施)
そして遅くとも半年以内に答申案をまとめJBCと協会に提出する
喪に服し一切自粛も今はよい
問題は今後だ
まったく何もしないで頬かむり
知らぬ顔の半兵衛
もしこうなってしまったら最悪だ
問題の解決につながらないばかりか彼の死を真に生かすことにもならない
やらねばならないことを粛々とやる
これこそが重要と思う
さらに少なくとも私を含めてプロボクシングファンは この一件を経て
「早めのストップにブーイング」
「もっと殴り合え、手を出し合えといった野次」
こういった野卑な観戦態度はあらため
粛然と襟を正す必要があるのではないだろうか
とりあえず私はお酒を呑みながら観戦するのはやめることにする
ホール内禁酒 を誓う
闘っているボクサーは目の前のこの試合で死んでしまうかもしれないのだから
最低限の礼儀は尽くそうと思う
最後に
この一件について
事故が起こった試合をさばいたレフェリーやセコンドの責任を問う声がある
しかし私はこれは酷だと思う
当日のレフェリーやセコンドの方は「プロ」である
何百、何千という試合を裁き、あるいは立会い続けた「職人(プロ)」の技量、判断を
私は尊重したいと思う
また人間は本来因果関係がないものでも
何でも関連付けて考えてしまう傾向を持った生物だ
事故があったという結果がわかった上でビデオでこの試合を見れば
「あの行為が事故に結びついた」「この振る舞いがまずかった」と
何でも悪いように思えて事故と結びつけて考えてしまい勝ちだ
他の事故が起きなかった試合のレフェリングやセコンドの行動と客観的に比較して
著しく問題があったということを証明できない限り
説得力をもった批判にはならないと思う
事故を防ぐより根本的な議論をすることのほうが
より建設的な態度というものではないだろうか
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